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幸せな再婚・晩婚・熟年結婚をめざすあなたへ「百万本の赤い糸」の信念。
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「幸せになるための10ヶ条」 とは。

2009/03/21 17:18
最近のアメリカ発の恋愛本とか結婚のガイド・ブックを読むと、

相手の愛を得る方法、付き合い方、結婚への道、離婚しない結婚、

などなどテーマはいろいろあっても、

その読者対象が、決して20代の未婚の男女、ではありません。

もちろん、それらの年代を含んでは入るけれども、もっと範囲はひろくて、

再婚や、再々婚をしようか、という人達も、大きな視野に入っています。

むしろ、そういう人たちをターゲットに書いた内容が、もっと若い人にも

共通な、大事なポイントが多くふくまれたりしているようです。


たとえば、今、僕の手元には、

「100万人が癒された愛と結婚のカタチ」

という本があります。

この本の最終章は、

第12章: 結婚は心と魂が癒しに向かう旅である

という内容なのですが、ここで取り上げられている理想的な「成功例」は、

女性が2度目の結婚、男性はなんと4度目の結婚です。

人生に決してくじけない、アメリカ人のバイタリティーに脱帽ものですが、

一方では、結婚=男女の真の付き合い、

というのは簡単なものではないんだ、という理解です。

一度離婚した経験をしたから、相手を思いやる気持ちの大事さが分かる、

人にやさしくなった、だから今度は大丈夫。


そういうことでは、なさそうです。

自分の相性というのは、結構変わらないもので、2度目の相手も、結局

最初の相手と、似たような人間だった。

そういうこともあります。

だから、相手が大事、ということももちろんですが、もっと大事なのは、

いかに自分を変えることができるか。

いかに変わった自分を、行動として表わすことができるか。


離婚して、自分はやさしくなった、自分は変わった、

という人が多いものですが、

本当でしょうか。

再婚相手を決定するのが、なかなか出来ないのは、じつは自分は

なんにも変わってはいなくて、今度の相手は絶対に「完璧」な相手、

少なくても、自分が設定した「最少条件(何個ありますか)」をクリア

した相手でなければ、OKしない、

そう思われている方が、ややもすると、て多いのではないでしょうか。


これでは、自分が変わった、ということではないのではないか?


結婚前は、両目を開けて、結婚したら片目を閉じて、生活しよう、

というような賢人の知恵を聞いたことがあるような気がします。

僕は、再婚、という場合には、これとは逆に、

再婚前は、片目だけ開けて、再婚後には両目を開けて、生活しよう、

というのが正解のような気がします。

きついことを言うようですが、こういう風には思うのです。

20代ですら、自分の理想の相手は見つからなかったのだ、

40代になって、(いろんな条件をあたまに描いていたら)、

見つかるわけがない、と。


だから、相手に、良い点が、もし5つあったら、もう合格としよう。

あとは、人生経験をつみ、ひとにやさしくなった、自分が理想の相手に

変えていけばいいではないか、と。

もちろん、そのためには、自らの努力、また共同作業という行動が

必要です。


結婚したあとの努力とは?

たとえば、次のような、人間として「幸せになる」ための、一つひとつの

行動を、根気よく、あせらず、確実に実行してみることです。


イギリスBBC発表「幸せの10ヶ条」

1. 週に3回以上、30分以上の運動をする。

2. 自分が恵まれていることを5つ上げ、「ありがとう」と言う。

3. 自分の伴侶と一週間に1回、1時間以上おしゃべりをする。

4. 植物を育て大切に可愛がる。

5. テレビの鑑賞時間を今の半分にする。

6. 知らない人に向かって、一日1回あいさつをする。

7. 長いこと会っていない友人に会う約束をする。

8. 一日に1回、大笑いをする。

9. 自分に毎日ささやかなご褒美を。

10. ひとに役立つことを一日1回以上する。



どう思われますか?

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久木綾子さんって、知っていますか? 「瑠璃光寺五重塔に魅せられて」 NHK 深夜便

2009/03/02 21:56
今朝の4時過ぎ、眠気にもうろうとしている中、NHKラジオ深夜便で、作家のインタビューが耳に入ってきました。

久木(ひさぎ)綾子 「瑠璃光寺五重塔に魅せられて」という番組です。

驚きました。

彼女は、89歳の、新人作家さんなのです。


まずは、五重塔の日本三名塔のひとつと言われる山口市の、瑠璃光寺五重塔です。(他は、奈良の法隆寺、京都の醍醐寺)


画像



画像



写真はElliottさんのブログからお借りしました。


久木綾子さんは、89歳にして、作家デビューされた新進作家で、その処女作は、「見残しの塔 」──周防国五重塔縁起 という本です。

この写真の五重塔を作った人々の物語なのです。

「人は流転し消え失せあとに塔が残った。塔の名は瑠璃光寺五重塔。中世室町。五重塔の誕生をめぐる人びとの数奇な運命を描く歴史小説の大作」

何といっても、構想十四年、執筆四年といいますから、70歳を過ぎてから、とりかかった処女大作というところが、すごい。

ラジオから聞こえる声は、みずみずしく、ほとけ様のような純真さで、インタビューに応えていました。

発表の場所は、地方の同人誌「文芸山口」に4年間連載したものを加筆800枚の単行本としたものです。

執筆に4年かかったのは、文芸山口が年2回の発表しかなく、また自分が独占的に発表するわけにもいかず、その年月が必要になった、というわけのようです。

若いころに、作家志望で、東京の同人誌に参加して勉強しsていたそうですが、山口県の男性と結婚してからは、専業主婦で、文学活動からは、離れていた。

ところが、平成元年にご主人が逝去され、文学の道に戻られたのだそうです。

作者は、徹底した取材主義で、実際に見ないものは書かない、のだそうです。

宮大工の基本を理解するために、大工の弟子にさえなった。

山口市の瑠璃光寺五重塔を建てた、物語の主人公、宮大工副棟梁左右近は宮崎椎葉の人。

縁あって、作者は宮崎にも4年間住んで居た。

なんども何度も、ゆかりの土地を訪問取材することになります。

地元の学者に案内してもらっていると、ある不思議なことが起こって、どうしたのでしょう、と言うと、
その地元の学者が、自分たちのことを書いてくれる人が現れた、と言って喜んでいるのでしょう、と応えたとか。

平成元年、と言えば、作者70歳のときです。

そして超大作に最初から挑んだ。

そこがすごいと思います。

そして、そんなすごさを、みじんも感じさせない、インタビューの声なのです。

なにか、尼僧のような優しさと、女優のようなおちゃめさを、持っている方です。

「今度は、羽黒山の塔を書くんです、今度はもっと早く、短く、200枚くらい、まだまだ、書きたいこといっぱいなの・・・」


たんたんと、いつからでも、なんでも、(思いがあれば)、始められるのだ、

ということを教えていただいたように思います。


じつは、彼女は、(思いがあれば)、などという教訓めいたことも、言っていないのです。

ごく自然に、いつからでも、遅いということは、ないのよ、と語ってくれているように、感じました。


作者については、こちらのブログ、の3月1日分で、紹介してくれています。
また、番組の内容についてのあらましにも、触れてくれています。

本の内容は、郷土の本・書評、で取り上げられていますので、ご覧ください。

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老いらくの恋?いえいえ熟年の恋、怖いものは無し

2009/02/27 01:05
川田順は、昭和の歌人です。

住友本社常務理事だった54歳のとき、総理事の座(トップの座)を目前に退職し、歌の専任生活を選び取ります。

やがて東宮御作歌指導役(皇太子の歌の先生。親子2代、この役を勤める)にまでなります。

58歳のとき、妻・和子が突然病にたおれ、亡くなってしまいます。

翌年、京都に「夕陽居」に新築、移住し、余生をひとり気ままに歌作、研究に打ち込みます。

そして、62歳のとき、やがて歌の弟子となる、美しい人妻俊子と出会います。

俊子、35歳、27歳の年齢差です。

愛を告白するのが、65歳のとき。

川田の一目惚れから始まり、かなり強引な愛の告白です。


・いつよりか君に心を寄せけむとさかのぼり思ふ三年四年を(みとせよとせを)


・樫の実のひとり者にて終らむと思へるときに君現れぬ


・吾が髪の白きに恥づるいとまなし溺るるばかり愛(かな)しきものを


・むらさきの日傘すぼめてあがり来し君をみれば襟あしの汗


・はしたなき世の人言をくやしとも悲しとも思へしかも悔いなく  俊子


死を決意した家出なども起こし、ついに二人は結ばれます。


戸惑い、迷いながらも、その行動力には、感嘆させられます。

皇太子の歌の師であり歌会始めの選者でもある、功成り遂げた社会に尊敬される立場。

また、自分を尊敬しその妻を弟子にと押した博士学者への裏切りの悔い。

それらを越えて、川田は、俊子に迫っていくのです。

愚かと言えば、愚かですが、愚かであるからこそ、人間の深さ、豊かさ、尊さを、感じもします。


この川田順に、「老いらくの恋」という詩を、自叙伝のなかで、書いています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

若き日の恋は、はにかみて
おもて赤らめ、壮士時(おさかり)の
四十路(よそじ)の恋は、世の中に
かれこれ心配れども
墓場に近き老いらくの
恋は、怖るる何ものもなし。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「老いらく」、と言う言葉は、今の時代には干からびすぎて響きますから、

「熟年」と置き換えたいですね。


・何一つ成し遂げざりしわれながら君を思ふはつひに貫く

昭和四十一年(1966年)、長逝。享年八十四。

(俊子は鈴鹿俊子の名で、作歌活動つづけるも、2006年、96歳で死去。

これは、川田順の話しであると同時に、俊子の物語です。

いざとなると、女性の方が、堂々と、しているようです)



いろいろ、学ばせられます。

60歳を前に、大きな転機があったこと − 実業への別れと、妻・和子の死去。

新しい生活を始めたこと − 京都への転居と歌作りへの専心。

そして新しい恋には、世間に臆しながらも、徹底して思いを貫いたこと。



熟年の恋に、怖るるものは無し、

世間体や、人の眼を気にしたって、しょうがないっしょ。

自分を大切に生きてみましょ。


こういう気概で生きたいものだと、思ったのでした。



参照:恋歌・恋句 川田順 

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バレンタイン・デーの思い出

2009/02/13 11:06
2月14日は、世界中で男女の愛の誓いの日です。

その様子はお国により、様々です。

日本では、一年で一度、女性から思いと打ち明けることの出来る日、とされチェコレートを贈る習慣が長く続いていました。

それも、この頃では、様変わりしそうです。

外国では、女性から男性へ、という決まりは無く、恋人の日、としてやはり、男性から女性へ、と言うのが主流のようです。

日本でも、今年あたりから、男性からの贈り物が目立つようになるかもしれません。


そもそもが、ローマでの行事に由来するお祝いです。

ローマでは、2月14日は女神ユノの祝日だった。ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもある。
翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日であった。
当時若い男たちと娘たちは生活が別だった。
祭りの前日、娘たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れることになっていた。
翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。ひいた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。
そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。
(Wikipediaより)

このエピソーソからも、女性がチャンスをしかけますが、男性がチャンスをつかもうする様子がわかります。


今、インターネットで「バレンタイン・デーの思い出」というキー・ワードで検索すると、山ほどの記事がヒットします。

世界中の恋する男女が、この日をわくわく・どきどきで迎えているのが分かります。


バレンタイン・デーの思い出って、無いなあ、

いつも義理チョコばかりだったし・・・。

おやおや、義理チョコばかりではない、なかにある本物を見逃していたのではありませんか?


エピソードの中で、好もしい一話。

「彼にゴディバのチョコレートをプレゼントしました。
とても可愛い箱に入っていたので、食べたら箱をくれるように頼んでおきました。
すると中に指輪を入れて箱を返してくれました。
うれしかった。。。」


こんな展開も、肝心なのは、まず自分から、一歩踏み出すこと。

日ごろ、腰の重い、赤い糸の会員のみなさん!

バレンタイン・デーの思い出、として、申し込みをしてみませんか?

わくわく・どきどき、してみませんか?


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幸福への道  男の役割

2009/02/05 02:24
フランスの思想家、アランに「幸福論」という本があります。(岩波文庫)

本来、「日曜語録」という形で連載された、論文ではなく、思いつくまま自由に語られた言葉です。

そこで、ふたつのことが語られて居ます。


・ ひとつは、幸福とは、些細なことから作り上げられる、ということ。

・ もうひとつは、幸福になるのは、いつだって難しいことなのだ、ということ。

一見、逆のことを言っているように見えます。

幸福は些細なことから成り立っているのだから、少しの気づかいを、積み上げていけば、幸福になれる、それは難しいことではない。

しかし、その積み上げていく、ということが、そんなに容易いことではない、と言っています。


しかし、力いっぱい戦ったあとでなければ負けた、と言うな。

それはおそらく至上命令である。

幸福になろうと欲しなければ、絶対幸福にはなれない。

したがって、自分の幸福を欲しなければならない。

自分の幸福をつくり出さねばならない。

そして、自分が幸福になることは、他人に対する義務でもあるのだ。

と、アランは、言うのです。


さて、僕が、「百万本の赤い糸」を運営していて、

特に最近、おかしいなぁ、と思うことがあります。

それは、せっかく登録した男性が、まず、決まって、「申し込み」をしないのです。

以前は、これは明らかに、違っていました。

登録する、即、「申し込み」が始まる、

そういうパターンだったのですが、

それが、この1年ほど、様変わりしました。

なぜだか、分かりません。

分からないのですが、これは、決してけっして良い傾向だとは、思えないのです。


僕は、管理人として、紹介が多くなり、紹介手数料をもっと欲しくて言っているのではありません。

男性が、登録だけして、申し込みをしない、というのは、

男性として、幸福への道の、男の役割を放棄している、と思えるから、

ぜひ、奮起していただきたいから、

言っています。


アランの言う、

「幸福になろうと欲しなければ、絶対幸福にはなれない。」

ということは、行動が、必要なのです。

アランは、こうも、言っています。

「不幸になるのは、やさしいことだ。

ただじっと座っていればいいのだ。

幸福を商品のように待ち構えて、値踏みしていればいい。

自分自身に退屈する人を、なぐさめることはできない」



みなさん、幸福は、みずから、出向いて、勝ち取らなければならない、ものなのです。

それは、一歩の、「申し込み」からではないでしょうか?








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変化するもの 不況こそチャンス! 老兵も死なず、永遠に変化し続けよう!

2009/01/27 01:07
オバマ大統領が正式の座についた暁には、即、株価が高騰し、成長回復路線に乗るか、という夢を抱いた人もあったと思う。

しかし、敵は100年に1度、と言われる経済不況。

どうやら、本当に100年に1度のそれらしい、と感じ始めた人もいるかもしれない。

僕の世代で、不況といえば、やはり思い出すのは(バブルの後ではなく)、オイル・ショックの後の世情ではないだろうか。

資源を他国に依存せざるを得ない日本は、その最も重要な資源の石油を断たれることによって、将来の夢が築けない国である。

せめて、石油の消費量を減らそう、と国民挙げての施策を打った。

巷から、夜のネオンが消えたのだった。

TVも深夜放送が無くなった。

それは、不況の深度、理解と協力の重要性を、よく分かる形で訴えた。

節約、効率が、叫ばれた。

それでも、今の状況と比べれば、暗さ、不安、閉塞感、は少なかったのではないだろうか。

オイル・ショックを機に、大量のリストラ、首切りが起こった、ということは、聞かない。

新規採用を控える企業は多かった、だろう。

しかし、一端社員になれば、当時は企業が、社員の生活を守ろう、という姿勢が一般だった。

松下などは、仕事の無くなった工場の社員に、近隣の清掃作業など、コミュニティ・サービスをさせながらでも、社員を保持した、というような話も聞いたような気がする。

時代が変わった今は、世界一の企業トヨタでさえ、1年の業績悪化で、大量のクビキリを実施する。

他の大企業も、ここ数年続いた史上最長の景気成長のなかで、何度もそれぞれの企業史上最大の利益をあげた、とう報告が相次いでいた。

その利益を、従業員に正当に分配していない、社内留保しすぎる、という議論が続き、国内需要の喚起の観点から、従業員給与の増大をやっとテーブルに乗せようとした矢先に、この不況。

その話は、ご破算だろう。

ニュースは派遣(切り対策)村や、学生の内定取り消し、の話題でいっぱい。

日本の政治は、相変わらず、小泉人気で獲得した議席数にしがみつく政治屋が、恥も外聞も、理性も合理性もかなぐりすててしまって、将来に対する暗澹たる思いを、さらに深める。

どこにも、明るい話題が無いので、はるか遠くのオバマ大統領の一挙手一投足を伺っている感じ・・・。


しかし。

チェンジ。

なにかが変わらなければならない時。

不況や、困難は、何かが変わらなければならないから、やってくる。

そう考える。

不況は、チャンスだ、追い風だ、という企業が、企業家が、まだまだいるので、安心していい。


先日、漁業革命、というNHKの番組を見た。

魚の流通を根底から変える、AEONの「船ごと一艘、直接購入」という取り組み。

従来は、(1)漁業者→(2)地元市場(仲買)→(3)消費市場(小売店)→(4)消費者

という流通で、(1)から(4)の間で、価格が4倍も跳ね上がる仕組みになっている。

これを、AEONは、漁業者から、直接、船ごと、捕れたものは全て買い取る、というのである。

漁業者からみると、

・高い価格で売れる。

・船ごと買ってくれるので、無駄がない。(従来は、規格に合わないー大きさが足りない魚は、せりにだせなかった)

・季節外れの魚でも、買ってくれる。

消費者からみると、

・安い価格で買える。

・季節外れという魚であっても、新鮮な魚で、あらたに楽しめる。

・規格品はずれでも、新しい調理法などが紹介されて、十分満足できる。

AEONがこの取り組みを始めたのは、

半年ほど前の、ガソリンの暴騰のため、漁民たちが、漁に出られない、日本の漁業を殺すな、というデモを政府に対して行った、

その姿を見て、考えたのだと言う。

漁業者は、たんにセリで落とされるのを待つ、ということから、油代などのコストを示した価格交渉がAEONとの間にできて、従来より10%以上の値段で、取引が可能になった。


23日には、種子島宇宙センターから、H2Aロケット15号機の打ち上げ成功がニュースで流れました。

H2Aは、連続9回成功で、通産成功率も93.33になったそうです。

今回の特徴は、なんといっても、同時に積載され、順次に切り離された小型衛星群(7機)。

大阪の中小企業13社が共同で製作した「まいど1号」も無事に衛星軌道へのった。

中小企業群ながらも、もの作りの自信と夢が、、衛星の製作に挑戦させ、成功に至った。

小型衛星作りでは、英国がかなりリードしている、という話をきいたことがあります。

しかし、多分、小型ものに関しては、日本はこれからも、大丈夫ではないか。

それは、日本の「美意識」の発露、であるからです。

そもそも、「うつくし」と言う言葉は、「愛し(うつくし)」から来ているすで、妻や子供に対する愛情を表す言葉であった、そうです。

それが、小さいもの、可憐なものへの愛好を意味するようになり、やがて今のように「美」一般を表す
言葉となった。

清少納言も、

「なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし」

と言った。

小さなものへの愛着、細部へのこだわり、完璧さへの関心は、日本の美意識の大きな特徴のひとつとなっている、と言える。

それが、変化し続ける現代、、また将来においても、工業製品の中で、生かされ続けていくのではないか、と安心しているわけです。


環境の変化を、恐れることは、ない。

いやむしろ、今から、新しい何かが始まる、その時だ、と思いたい。


齢を重ね、身動きにも、心動きにも(感動すること!)、多少鈍くなったかな、と思うことがあっても、それもまた、変化のひとつ。

その変化に、あえて逆らうことでもなく、また流され過ぎもせず、自分の新しい可能性を、見続けていきたい。

50台や60台でも、「洋々たる未来」と言ってみる。

なにか?
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百年に一度の不況、、、だからこそ!

2009/01/17 21:15
今、世の中の話題は、100年に一度の経済不況、迷走する日本の政治、先の見えない社会に、身の凍るような犯罪、などなど。

どうやら、根っこは、同じなのかもしれません。

金銭にのみ、あまりにも価値を置きすぎた社会の、なれの果て、なのではないでしょうか。

中高年、老年を迎えて、より現実的に不安、不信、不安定な思いにとらわれておられる方も多いことと思います。

しかし、不況こそチャンスだ、と本気で取り組んでいるビジネス界の多くの人たちがいます。

不動産バブルが崩壊したあとで、ITを活用した新規企業が矢継ぎ早の成功したように、不況は新しい芽が咲き出す、チャンスであることは、過去の歴史が証明しているのではないでしょうか。

不況であればこそ、希望に燃えまくっている集団があるのですね。


個人の話にしても、同じだと、思うのです。

その人が、今、苦境にあるのは、その人がより高く成長するために、準備の時間なのだ、と。


一通のメールをもらいました。

その方は、40歳後半の女性です。

8年間の夫婦生活に終止符を打って、出直そうとされている方です。

最初の頃は、なんの問題もなく、信頼しあい、支えあうように暮らしていたのですが、

夫の会社が不況になり、仕事を失ってから、問題が生じてきた、そうです。

彼女の仕事で一家お支えるのも、長い期間は無理。

夫は、仕事が見つからず、だんだん荒れて行く。

やがて、暴力を振るうようにまで、なって。

彼女は、夫を立ち直らせることが出来なかったのは、自分の力の足りなさだ、と言っています。

しかし、信頼を根本から失うにいたり、希望が無くなった。

一人娘をつれて、別れよう。

新しい生活を始めよう。

こんな私が、新しい伴侶を求めることは、許されるのでしょうか?

というような内容のメールです。

僕は、このような方にも、なんらかの、お役に立てば良い、このような方は、まだまだ、沢山いるはずだ、と思うようになりました。

この「百万本の赤い糸」のようなサイトでも、これからもっと大切になるのではないか、と思うようになったのです。

「人から希望を奪ってはならぬ、

それがその人のすべての持ち物かもしれないのだから」

という言葉に出会いました。

(Never deprive someone of hope,it might be all they have.)

言葉を変えれば、そう、

希望を失ってはならないのです。

それは、すべてを失うことを意味します。


あなたも、きっと、忘れないで。


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夕陽がこんなに美しいのだから・・・

2009/01/13 22:29
パタヤです。

その海岸の夕陽があまりにもすばらしかったので、勝手に、パタヤ・サンセット・ビーチと名付けました。

知っている方は多いでしょうが、ガイド・ブックで読んだことの無い場所でした。

ビーチにチェアー、ではないところです、マットです。

うるさい売り子もやってきません。

これ以上、にぎやかに花って欲しくないところ。

だから、隠しておきたい内緒の場所。

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これほどまでに夕陽が美しいのだから

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人生は美しい

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おお、こどもたち

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語られなかった言葉

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そして夜は更けていく


ココナツの林のしたで

寝そべって太陽が沈んでいくのを

みていた

はまべにには、釣りをする若者

かけまわる子供たち

風は、気持ちよく、彼女の髪をなでていく

太陽を、見つめていられるのは

今このとき

やがて遠くの山の端まで

夕陽が落ちてくると

スピードがいっきょに増して

みるみるうちに沈んでいく

語られなかった多くの言葉や

果たせなかったいろんな夢を

すべてを飲み込むように、

どんどん沈む

僕が愛したひとや

僕を愛してくれたひと

みんなあの夕陽の向こうで

わらいながら

待っていてくれるような

気がすると

涙がぼうとあふれて

最後の夕陽の輝きが

にじんでしまった・・・



ちょっと詩人の気持ちになりました。 (誰も言わないだろうから、自分で、お見事!)


夕陽がこんなに美しいのだから、

ひとの人生も、最後の最後まで、美しいはずだ、

誰もがみすぼらしく年をとる、

なんて信じないぞ!

と思ったのでした。


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吉野秀雄 やわらかな心 長男の発狂の悲しみ (3)

2009/01/12 23:52
病苦と生活苦のなかで、吉野秀雄は人間に対する慈悲愛を歌い続けているように思います。

次の歌は、胃を侵され、余命いくばくもないはつ子夫人と子供たちの交情を詠ったものです。

つよくイメージに残ります。


・おさな子の服のほころびを汝(な)は縫へり幾日か後に死ぬとふものを

・病む妻の足頚にぎり昼寝する末の子みれば死なしめがたし

・おさな児の兄は弟をはげまして臨終(いまは)の母の脛さすりつつ

・亡骸(なきがら)にとりつきて叫ぶさよならよ母を死なしめて申し訳もなし


吉野秀雄を世に知らしめたのは昭和22年1月、雑誌「創元」創刊号に「短歌百余章」が発表されたときからだと言います。(上記の歌を含む)

編集をしていた小林秀雄が、吉野秀雄の原稿を読むなり、当時八幡神社の脇の山上に住んでいたが、凄い勢いで山を降り、小町の吉野の家に駆け込んで絶賛した、ことから始まります。

吉野すでに47歳、遅いです。

寡作で、随筆なども「やわらかな心」にほとんどが収録されているほどです。

貧しく、病いに終生苦しみながらも、二人の夫人に支えられ、なんとかおだやかな日々を過ごせそうか、と思い始めた矢先に、最後の大事件が起こります。

長男が発狂してしまうのです。

「やわらかな心」を読んでいて、それまでは、苦労に中にも、万葉歌人としてのおおらかさ、女性をこれぐらい愛せなくてなんで益荒男(ますらお)か、という豪快さや、微笑ましさに、ついこちらのこころも和み、美しい晩年で終わるのだろうなぁ、と思っていたとき、突然「わが家のできごと」というエッセイが始まるのです。

僕も、吉野秀雄を語るとき、ここまで伝えないと、半分以上気持ちが残ったままになるので、書きたいのです。


長男陽一は、芸大日本画科に首席で入学した才能の持ち主でしたが、やがて父と同じ結核にかかり、8回の手術をうけるという試練にあう。

多病の父が息子の治療費、その当時の百数十万を作るのも、血の出るような苦労の末だったろうが、本人も青春がめちゃめちゃになった。

やがて、息子は退院し、自宅療養となり、身体障害者五級とはいえ、ぼつぼつ絵の仕事をしたり、文章を書いたりするようになり、近くの高校へ、週二回、絵の講師として通うようになっていた、その時に発狂してしまうのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
世間に不幸は無限に起こり、流行病・交通事故・海や山の遭難等、毎日マスコミが報道してもしきれないほどあるが、その一つが具体的に、こんな形でわが家にふりかかろうとは、夢にもしらなかった。

わたしの心臓はまさにとまろうとし、わたしの脳裏にはさまざまな妄想がひらめいた。

わたしの命がいま絶えたら、どんなによかろう。

いっそかれを殺し、自分も死んだら、始末がつきやすいのではなかろうか。

自分も発狂し、精神病院でかれといっしょに暮らせないだろうか。

  −−−−−−

とつおいつ、とまどっているとき、わたしははからずも、ナムアミダブツ、ナムアミダブツと、二声三声唱えた。

からだ全体で、しかもしぜんにうながされて、こんなあんばいに称名念仏できたことは以前に覚えがない。

わたしは青年時代から歎異抄を愛読し、時にはすがりついてもきたが、同時に信仰の薄弱さもみずからよくわかっていた。

でもこんどのナムアミダブツは、自分でいうのもおかしいが、いつもとは手応えが違う。

わたしはこんどこそ信仰にはいれたような気がする。

眼前でせがれが発狂する。

じつに突飛なことだが、それが人生の実相なのだ。

平和な三人暮らしがつづくだろうと考えていたのが甘かったのだ。

わたしは家内のためにもせがれのためにも、一日でも多く永らえて、やるだけ力になってやらねばならぬ。

勝手は許されぬ。

狂人といえども人間であり、その生命は尊い。

もう一度直ることもけっしてありえぬことではなかろう。

わたしまででめになったら、不幸は数倍にもふえる。

せがれの狂気は、わたしが自分の存在価値をためす絶好の機会なのかもしれない。

わたしはナムアミダブツと唱えながら、あくまで生きてゆこう。


生をむさぼるのでなく、大きな慈悲に生かされてゆこう。

そして狂人ばかりでなく、世間のあらゆる不幸な人びとに、さらにさらにやさしい気持ちを持とう。

<人の幸福を共によろこび、人の不幸をともにかなしむ>ことは、これまでも心掛けてはきたが、もっともっとそういう類の人間になりきろう。

せがれの哀しみと自分の悲しみとを主題にして、歌も作ろう。

これが歌えなくてはほんものの歌よみとはいえなかろう。

あわれなせがれは、わたしをほんものの歌よみにするためのごとくに狂気してしまったのだろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

やわらかな心、とはこの心境をいったのだと、得心したのでありました。


長男を、ガンで亡くしてしまった僕には、「せがれの哀しみと自分の悲しみ」という言葉が、強く響いて残リます。
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吉野秀雄  やわらかな心  二人の妻  (2)

2009/01/11 07:56
八木重吉は、こんな詩人です。

<秋の瞳>



 私は、友が無くては、耐えられぬのです。

 しかし、私には、ありません。

 この貧しい詩を、これを読んでくださる方の胸へ捧げます。

 そして、私を、あなたの友にしてください。

             

<貧しき信徒>



母の瞳
 
 ゆふぐれ
 
 瞳をひらけば
 
 ふるさとの母うへもまた
 
 とほくひとみをひらきたまひて
 
 かわゆきものよといひたまふここちするなり


ひびいていこう

 おほぞらを
 
 びんびんと ひびいてゆかう



八木重吉は肺結核で、1926年に死亡。

とみ夫人との間に生まれた二人の子供も、1937年に桃子、1940年に陽二が、やはり結核で死にます。

ひとり残されたとみ(登美子)が、やがて吉野秀雄と再婚することになります。



その様子を、吉野秀雄が<やわらかな心>に書いています。

とみ子は、夫の死後勤めていた茅ヶ崎南湖院の事務員から、病身で4人の子を抱える秀雄のところに、家政婦としてやってきてくれます。
とみ子、40歳。


「なぜ見も知らぬわたしのところへ来る気になってくれたものか、そこが不思議で、どうも因縁というよりほかはない。

もしくはわたしに神仏の加護でもあったのだろうか」


とみ子の何気なくもらしたところによると、次のような理由からでした。

・八木に感化されたキリスト教の精神で、この困りつくした一家に尽くして建て直してやろうと思った。

・八木も胸の病に倒れたが、この家のあるじも胸を病むとは、これもそういう運命だと観じた。

・吉野が金にもならぬ歌をつくる者だということは、詩歌の徒は貧乏しても信用が置けるという解釈から、かなり気に入った。


「しかし、とみ子は八木を忘れかねてそれまで再婚を拒んできたのだろうし、わたしもはつ子を失った悲しみは、まだなまなましいし、おいそれどうのこうと、ことを運ぶわけにはいかない」


「ある日、ガラス戸越に、わたしは井戸端で洗濯をするとみ子を見ていた。

とみ子はわたしに気づかず、ただ一心不乱にたらいの中の洗濯板にごしごしやっていて、それをななめに見おろしているとき、突然好きになった」

「そして間もなく、わたしは万葉流の単刀直入さで、

『あなたはもしやわたしの家内になってくれぬだろうか』

というと、これはまたへんにあっさりと、

『なります』

というのであった」


・これの世に二人の妻と婚(あ)ひつれどふたりは我に一人なるのみ

・恥多きあるがままなるわれの身に添はむぞといふいとしまざれや



60歳を越えても、生活苦と病苦はさらず、リューマチにかかり、散歩もできなくなる中、心身とも健やかな思いを維持できたのは、とみ子夫人という伴侶あればこそであった。


エピソードをひとつ。

リューマチで散歩も出来なくなってまる三年、近所にひとにはもう死んだと思われたらしく、

とみ子夫人が、薬局に立ち寄ると、

「お宅さんでもとうとういけませんでしたそうで」

とお悔やみを言われてしまします。

「まだ生きてますよ」

と笑いながら言った話を受けて。


・噂には死にきと決めて居らめどもうはささるるはありがたき内


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セックスレス夫婦4割弱: やわらかな心 吉野秀雄:万葉の愛を想う

2009/01/10 18:12
セックスレス夫婦4割弱

10代−40代夫婦の4割近くが、1カ月以上性交渉のないことが厚生労働省研究班の調査で分かった、と言います。

こういう話を聞くと、歌人吉野秀雄のことを思い出します。

「やわらかな心」という名著があります。

その中で「二人の妻」について語っています。

一人は、最初の妻で、吉野秀雄が結核である、ということを知って嫁いできて、やがて自らが先に逝ってしまう、はつ子。

はつ子の最期に詠んだ3首が特に有名です。

・ 真命(まいのち)の極みに堪へてししむらを敢えてゆだねしわぎも子あわれ
・ これやこの一期(いちご)のいのち炎立ち(ほむらだち)せよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾妹
・ ひしがれてあいろもわかず堕地獄のやぶれかぶれに五体震わす

<作者自解>に、
「こういう歌を読んで妙な印象をうける人もあろうとは察しられるが、わたしのように肉体と精神とを分離して考えることなどとうてい不可能な人間にとっては、誇りもなければ卑下もなく、これでいたし方なく、これでぎりぎりなんだとつぶやくほかに手段はない。
つまりこれらに関するかぎり、わたしは『南無阿弥陀仏!』と唱える以外、何もいいたくない」
と書きます。

紀野一義「死にざま・生きざま」の中に「歌人吉野秀雄の生きざま」という章があり、こう語っています。

「昭和19年の夏、この人の妻はつ子は胃を病んで鎌倉の佐藤病院に入院し、八月二十九日、四児を残して死んだ。
あの世の存在など認めようとはせぬ人であった。
死ぬ前の日の夜、夫に迫って夫婦の交わりを求めた人であった。
この世に生きていることを確かめる唯一の手段としてこのことを選んだ
この女性のすさまじい執念におどろかざるを得ない。
歌人はこれを叶えてやり、山本健吉をして称歎(しょうたん)せしめた絶唱を残した」

吉野秀雄を万葉風歌人であり、その素直で、おおらかな、「肉体と精神を分離して考えることのできない」人間は、
これも「来世など信じ無い」という、仏教思想に侵される以前の万葉人のような妻はつ子の今生の願いに命を燃やす愛の行為をするのでした。

セックスレス4割とか、その男性の第一の理由が、仕事の疲れだ、というような話をきくと、なんと現代人は、寂しい人生を送っているのかなぁ、と想ってしまいます。

吉野秀雄の万葉風のおおらかさ、女性をこよなく愛せなくてなんの益荒男(ますらお)か、という気丈夫さを、尊敬します。



ところで、僕が「やわらかな心」を特に読むきっかけになったのは、吉野秀雄の二人目の妻、とみ子夫人に興味があったからでした。

とみ子は、これも有名なキリスト信者の詩人、八木重吉の妻だったひとです。

そのとみ子がなぜ、どのように吉野秀雄の妻となったのか、そしてそれは幸せな人生だったのか。

また、それについては、あらためて、書いて見たいと思います。
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女性会員が増えてくれないかなぁ、と願う。

2009/01/09 07:44
出会いのサイトでは、女性会員の数が、成否の鍵を握る、とは誰もが理解していることでしょう。

そういう意味で、単純に、この赤い糸のサイトも、女性会員が順調に増えて欲しいと願っています。

ところで、その女性たちのことを、男性たちは、どの程度に知っているのでしょうか。

離婚して、それが良い経験になって、いろんなことを考え、思いやりが深くなった、だから
もう同じ間違いはしない、もっと優しくなった自分がいる。

と考える人は、男性も女性も多いかと思います。

しかし、果たして、そうでしょうか。

よくわかりません。
もし、そうならば、再婚は、もっと増えて良いはずだし、人間の幸福指数は、もっと高まる
まずですが、どうも、そうとは見えないのが、実感です。
どうでしょうか。

人は、単に離婚する、という経験からは、自分自身のピュアーな考えを、さらに深めは
するかもしれませんが、相手のことを真に思いやる、という心は、言葉でいうほどには、
信用できないのではないでしょうか。

相手のことを思いやる、ということは、ある意味で、自己を譲る、という面があると思う。
それが、離婚という人生の修羅場経験を経て、上手になるとうれしいのですが、
はたして、そうでしょうか。
現実的には、自分を守る、というこころの方が、強くなりはしないか?

太平洋戦争に敗れて、日本人すべてが前途に悲観し途方にくれていた時、
ドナルド・キーンが、
「日本には、世界に冠たる、すばらしい日本婦人がいるかぎり、大丈夫です」
と書いた。

伝統的に、女性的と考えられる特徴の、

温かさ、親切、優しさ、愛らしさ、特に他人への思いやり、

それらに日本人女性は、秀でていたとキーンさんは、言っているのだと思う。

現代のフェミニストからみれば、男性が勝手につくった性的役割特徴だ、というかも知れ
ないですが、人間にとって、大切な性格特徴ではある、と思う。

そして、男性も女性も、それを同等に見につけることが大切なのです。

しかし、それでも、二人のカップル関係では、その面で、女性に一歩リードして欲しいと
僕は願ってしまうです。

離婚すると、男性は、再婚したい、と考えるそうです。
もう、一度、人生をやり直したい。

一方、女性は、それほど、すぐには、再婚は考えない傾向にあるそうです。
一人で生きられるなら、一人がいいかな。

男性は、こころの問題が一番で、再婚したい。
女性は、経済問題が一番で、再婚しなくても、生きていける。

男性は、孤独に弱い。
女性は、孤独に強い。

どうみても、男性の方が、あせっているように見えます。
短絡、直情的、良い言葉でいえば、熱情的、熱心、なのです。
男女関係に、まだロマンを捨てない、でいる。

一方、女性は、より冷静なようです。
より現実的に、一歩一歩、前進する。
離婚をして、よりその性格が強まる。
だから、どうも、再婚の付き合いが始まると、男性がことを性急に運ぼうとしすぎて
いるように見えるんでは、ないだろうか。

そういうことが、この赤い糸のサイトを通じて知り合った、メール交際にも、起きて
いるのではないか、
と想像します。

出来るものならば、そうした男女の心理の差も理解して、
うまく男性をリードしながら付き合いを進展させ、結婚にいたる道を歩んでくれるような、
かしこく、やさしい、女性に会員として参加してくださることを、願っています。

男性に対して、期待したいのは、決して女性を、こういうものだ、こうあるべきだ、と
一方的には、思わないこと。
それが、せめての、離婚の経験から得た、貴重な知恵なのではないでしょうか。

かのフロイトでさえ、
「いまだかって誰も答えたことのない、そして30年間女性心理を研究してきた
私にも答えられない大きな疑問は『一体女性は何を欲しているか』である」
と書いている。

女性心理は、これほどに、男性にはわかりにくいものだと理解し、もっともっとわかる努力を、
男性はしなければならない、と思うのです。
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赤い糸、登録したけれど、なかなか申し込めない、わ・た・し

2009/01/09 07:40
今日は、何故、交際がなかなか始まらないのか、ひとつの現象について、
考えてみたいと思います。

百万本の赤い糸に、登録される方は、現在のところ、40歳以上の方が主流です。
一般的に、パソコンの使用経験が少ない方が、多いと思います。
男性でも、50歳以上になると、個人でパソコンでインターネットを使用、という方は
少ないように思います。

しかし、問題は、パソコンに不慣れ、ということではないのです。
問題は、気力を無くしてしまう、ということではないでしょうか。
不慣れなパソコン、よくわからないインターネット、そして半ば疑問を抱きながら、
出会い系のサイトをいろいろ眺めて、そうしてとにかく、登録してみる、というところ
までは、やっと、なんとか、こぎつける。。。。

本来なら、特に男性の場合、会員登録後、すぐに申し込みをしてみる、という
のが普通のような気がします。
たぶん、登録決心前に、あらかじめ女性会員のプロフィールを見て、お付き合い
してみようか、という方がおられたから、登録しようと思った、と想像します。

ところが、その登録までに、時間と気力を使い果たしてしまうのか、実は、
登録後に、すぐ申し込みを始められる人が、非常に少ないのです。

女性の場合は、申し込みは待つもの、ということを女性の美徳と感じられている
方も、まだ多いかもしれませんから、これはこれで大幅な変化は期待できない
かもしれませんが、男性の場合は、ちょっとヘンだなぁ、と感じます。

男性も、インターネットは申し込みを待つもの、と考えている、とは思えません。
それでは、何故、すぐに申し込みを始めないのか。
1.出会いサイトなんて信用がおけないから、ちょっと様子をみてみょう。
2.自分に自信がないから、自分から働きかけることはしないで、自分でも
  いい、といってくれる申し込みを待とう。
3.実は、積極的に申し込みをしてみたい相手もいて、登録したのだが、
  登録までが大変で、もういっぱいいっぱい、申し込みの方法にしたがって
  リクエストを送る、なんてとてもできない、ひとやすみしよう。

上の仮想理由の3つのうち、3番目が一番多いのではないか、と思っています。
ここまで来たからには、あと一歩なのです。
興味を持ち続ける気力を強くもって欲しいなぁ、と思います。

人間、新しい買い物に、興味がなくなると、老人化が始まる、といわれます。
新しい服なんて、もういらないや、流行なんて、もう関係ないし、いままで
あるものでなんとか、やりくりしていけば、いいんじゃない、、、というのが、
危険なのです。

これまでで、もう、いいや、と引いてしまう考え。
おおげさに言えば、人生という、まだまだ体験したこともない、新鮮な驚きに満ちて
いるはずの舞台から、もう降りてしまう、考えではないでしょうか。
舞台は、一幕が閉じたばかり、なのではないでしょうか。

新しいことを始めることは、すばらしいことだと思うのです。
それが、出会いサイトで、申し込みをしてみる、ということも、新たな経験です。
登録するだけでは、行動が完了していることには、ならないと思うのです。

ぜひ、あと一歩、興味をもって気力を維持、し続けて欲しいと願います。

登録しただけで、休眠状態(ドーマント)に入ってしまう男性会員の方を、
応援したいと思います。
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再婚・晩婚・熟年婚 自分の人生をディスカウントしないために

2009/01/09 07:38
わたしが、百万本の赤い糸のサイトを始めたのは、2000年のことでした。
まだ、インターネットが、盛んになりかけていたころです。
ホームページ・ビルダーの使い方を勉強しながら、なんとなく人のお役にたてるかも、と思いながら開始したのでした。

当初は、メルマガなども同時に発行して、会員の数もどんどん増えていったことを覚えています。
そのうちに、わたしの都合で、メルマガを止め、その他の活動もできなくなって、赤い糸のサイトに費やす時間も限らてきました。
当然、赤い糸の、会員の伸びや、会員間のやりとりも、少なくなってきます。
そしてまた、バツ一の人だけを対象にした、それなりに全国的に著名だったサイトも、突然中止になったりしてきました。

それで、わたしも、サイト運営を止めようかな、と思ったことがあります。
結局止めずに、いままで来たのは、つぎのようなわけです。

3日間、会員登録も、申し込みもなければ、止めよう。
そう、決めました。
誰かが、求めているかぎり、やめられない、という思いがあります。

ところが、確かに活発ではない、けれども、3日も何も無し、ということも起きないのでした。
かならず、誰かが、新しい出会いをもとめて、やってくるのです。
そうして、えんえんと8年間も続いている、というわけなのです。

そして、今、こうしてブログを立てて、ささやかながら、活動のいまひとつの活性化をはかろうと、思っています。

というのも、この35歳以上シニアまでの、恋愛そして結婚の需要は、今後、ますます高まっていくだろうと、思うからです。
少子高齢化が、さまざまに問われています。
わたしからすると、単なる高齢化、という現象よりも、独り世帯が増大することの方がおそろしい。
むなしい世界が見えてくるようです。

35歳以上の男女が、未婚であれ離婚であれ、独り身でいる、ということには、深い理由があるわけです。
結婚なんかしたくない、いや再婚はもうごめんだ、というひとにも、そう思わせる、一人ひとりに深い理由があるのです。
もう、自分の人生は、これでいいのだ。
あとは、しずかに、ひとにわずらわされることなく、安心してくらせさえすれば、それでいいのだ。
そう、思っているひとがいっぱいいる。

しかし、それが、ホントの本音、なのか。

一人でいるのが楽だからいい、
面倒をみるのもみられるのも、いや。

ほんとう、だろうか。
人間は、なんのために生まれてきたのだろう。
楽をするため?
幸福になるため、なのではないの?
ちから一杯、生き切るためではないの?

やればできる、求めれば得られる、それを追求しないで、いいの?
それほどまでに、自分という人間、自分の人生を、ディスカウント
(割引いて考える、やすっぽいものにする)して、いいの?

もう、これでいいや、とまで、思いきれたのなら、
そして様々なしがらみも断ち切れて自由ならば、
ここは、もう一歩突っ込んでみたらどうでしょうか。

初心に返って、もう一度、人生を創るのです。

まだまだ、時間はたっぷりあるのだし、
以前より、自由なこころを、獲得しているのだし、
成功に一歩、近づいているのですから。

女性とは、
居ればやっかいだし、
居ないとさびしい。

男性とは、
居ればやっかいだし、
居ないとさびしい。

それでいいではありませんか?
あなたが、いま、一人だったら、さあ、今日からパートナーを探しましょうよ。
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ネット出会いの、心構え : Try to Fail, Don’t Fail to Try 

2009/01/09 07:37
この「赤い糸」のサイトは、地味なサイトで、2000年に開設してから、見栄えも方法も最初のままです。
(それは、ひどい、という声が聞こえそうです。いつか改善しよう、という野心は持っています)

それでも、その地味なところが良い、といって会員になってくださる方もいる、と思っています。

新たに入会される方、申し込みをされる方、そして1ヶ月に一件くらいは(少ないでしょうか。。。僕はそうは、思わないのですが)、お相手が見つかって退会されるのかな、と思われる方、などなど、活動は途切れることなく、続いています。

それでも、最近、おや、と思うことがあります。

男性会員で、登録はするけれども、そこで止まって、申し込みを行わないでしまう方が、多くなってきたことです。

以前は、男性会員は、登録と同時に、申し込みをするのが、普通でした。

ところが、今は、登録の後、女性と同様、待ち、の状態に入ってしまうのです。

会員登録する前に、このサイトを覗いて、気に入った女性会員がいることを確認して、登録していると、思うのです。

それでも、会員登録するのが精一杯で、そこで止まってしまう。

何故なんでしょう?

男性も、この時代、(いままでの多くの女性のように)、積極的に行動するのではなく、受身的に「待つ」ことに慣れてしまったのでしょうか?

あるいは、プロフィールを書いてみたけれど、あまり魅力的でもない自分自身に嫌気でもさすのでしょうか?

または、申し込みをしても、断られるときの不愉快さに、恐れをなして、そこで止まってしまうのでしょうか?

はっきりしているのは、登録するだけでは、何事も起こらない、ということです。

登録したじゃないか、だけでは、何事も起こらないのです。

登録することだけでは、積極的な行動、までに至っていないのです。

ここで、先日見た、タイ映画で出会った言葉を思い出します。

さえないタイ青年が、あこがれの日本女性に会って、好きだと言い出せないでいるとき、タイの大人が彼に言って聞かせる言葉です。

Try to fail is Better than Fail to try.

行動して、失敗しても、行動することに失敗する(行動しない)ことより、良いことだ。

やって失敗する方が、なにもしないでいるより、よっぽどましだ。

この精神。

「赤い糸」の会員の方にも、この精神で、取り組んでほしい、と願います。

そして、僕は思うのですが、こんなサイトを通してのやり取りでも、伴侶を求めようと思うのなら、自分を表現し、それで相手の関心を引き、そのこころを捕らえる、ということは、なま半かな事ではなく、真剣勝負だ、ということです。

登録はしたけれど、 申し込みのあまり来ない、女性会員の方。

申し込みはするけれど、さっぱりOKの返事がもらえない、男性会員の方。

自分のプロフィールが、魅力に欠けるのではないだろうか?

自分の申し込み文が、なぜ訴求力にとぼしいのか?

一見、同じように、短いプロフィールの書きかたでも、沢山の申し込みをうける女性と、なかなか目立たない女性がいます。

何故だろう?

そう、自分を振り返る、という風に、考えないのか?

自分からの申し込み、数打てばあたる式で、沢山だして、OKをもらったとしても、その先メール交換が、1,2度で終わってしまう、男性会員、何故だろう?

と考えないのか。

けっきょく、真剣に取り組む、その気持ちが足りないのでは、ないでしょうか。

いろいろ考える、真剣に取り組む、それは時間がかかるようでいて、結局は近道なのです。

この場で、本気で、交際相手を、生涯の伴侶をもとめる、取り組みをして欲しい。

大それたことを言うようですが、それは、自分をより良くするという、修養の場にもなるのではないでしょうか。

ここで、ある男性会員の方のことを思い出します。

その方は、シニアの方で、インターネットにもあまり慣れていない様子でした。

入会前に、管理人に何度か、メールで質問を寄せてきました。

このサイトは信用できるだろうか、

サクラとか、そういうインチキな仕組みになっていないだろうか、

本当にネットで出会いなんか、できるのだろうか。

僕は、あまり懇切丁寧な応対はしなかったように思います。

すべて、ご自分の判断で行ってください。

こんなちっぽけなサイトで、サクラを置く必要なあるでしょうか。

実際にネットで出会った方は沢山います。

要は、いかに真剣に取り組むか、だと思います。

という、ごくあっさりした返事だけお返ししました。

しばらくして、その方が登録されました。

何通か、申し込まれましたが、OKの返事がありません。

すると、管理人に抗議のメールが届きました。

やっぱりインチキじゃないか、返事がちっとも来ないぞ。

僕は、前のやり取りを記憶していたので、返事を書きました。

その方のプロフィールと、申し込み文の実例を示して、2、3アドバイスしたのです。

基本的に、自分自身の視点でのみ書かれ、相手の視点、相手に読んでもらうんだ、という意識が非常に低い文章なのでした。

その方は、その返事に対して怒ることなく、やがてプロフィールを書き直しました。

その後で、2度ほど、書き直しておられます。

そして、申し込み文のなかにも、相手の立場に立って話す、と言う言葉が見られるようになりました。

何通か申し込みをしているうちに、ついに、OKの返事がくるようになったのです!

ある申し込み文は、管理人もほれぼれするような、文章になっていました。

僕は、この方は、ある意味、変身されたのではないか、と思います。

自分を振り返り、人への自分の見せ方、人への接し方が、変わった。

まぁ、以前から持っていたけれども、忘れていたもの、それが復活しただけなのだ、とも思います。

中高年になって、他人の意見、他人の気づかいをうるさく感じ、自分勝手に生き易い年代になっても、
真剣に、男女交際をもとめるプロセスを通して、人はまだまだ変身できるんだ、と思いました。

始めることに、遅すぎることはない、と言います。

いつまでも、

Try to Fail is better than Fail to Try.

の精神で生きたいものです。
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「ウェブ恋愛」 渋井哲也著 を読んで。

2009/01/09 07:34
「カレの住む南九州に行き、結婚したいですが、親には『ネットの出会いなんか信用できるか』と言われ、反対されています」
という文章を読んで、
今でも、そう思うのが、常識なのかなぁ、と
それが知りたくて、この本を読了してしまいました。

それについての、結論を導くことがテーマではないので、明確な答えが書かれているわけではありません。

読後感で言えば、「ネットの出会いなんか信用できるか」という感覚は、まだ根強いものとして、あるだろう、ということと、

現代のうつろな世界に、なんらかの新しいコミュニケーションの方法を見出さざるを得ない人々には、ネットでの出会いは、必需なものとなっていく、ということ。

特に、現代に「生きにくさ」を感じる人々、
(なんと大勢の人が、この分類にはいることか。いじめにあっているひと、自分の容姿や能力に自信が持てないひと、親に理解されないひと、友人に裏切られたひと、自分の居場所が見つからないで悩むひと、リストラされたひと、などなど・・・)
それは、身近にある空間には、人間関係がうまく持てない状態にあるひとたちで、
ウェブを通して、人とのふれあい、いやしを、探すことができるのです。

ネットの出会い、といっても、今では、いわゆる「出会い系」サイトばかりではなく、趣味のサイト、SNSのコミュニテイ、など、大きく広がっています。

ネットは、言葉中心の対話です。
ウェブ恋愛を描いた、トム・ハンクスとメグ・ライアンの「ユー・ガット・メール」は1998年の映画だそうで、AOLがIM(インスタント・メッセンジャー)を広めた結果うまれた物語とも言えるそうです。
ここでは、大型書店オーナーと、小さな絵本店の経営者が、実生活上では、敵対関係にありながら、ネットでは、本音の言葉で会話をし、お互いに惹かれあって、ネット上で恋愛が成立していく、ストーリーです。

「ネットからの恋愛なんて、ありえないと思っていました。初めは、”寂しいから”そう感じるだけなのかな、って」
しかし、ウェブ恋愛は、現実にありえてしまうのです・

外見や、その人の環境や、人間関係など、いっさいを離れて、こころのままに、すなおに、言葉だけで語り合える、そういう特徴をネットは持っています。
面と向かえば、外見や、声の調子や、しぐさや、などがじゃまをして、長い会話などできないかもしれない相手とも、こころの本音を聴き合うまで、会話を続けることができる、メディアです。
言葉だけで、いや、言葉だけの方が、相手のこころを感じ取れる、ということかもしれません。

ここに、ネット交際の、長所も短所も、あるのかもしれません。

ネットの会話で惹かれあって、イメージを膨らませて、
実際あってみると、イメージした相手と違う、
という違和感のショックが大きく、すぐに別れてしまう、
そういうケースが非常に多いのです。

ネットの会話では、すべてをさらけ出す必要はなく、相手の話に合わせて応える、というパターンになります。
そうしているうちに、本当の自分ではない、相手のとって気持ちの良い答えを探して返してしまう、ということも起きます。
それで相手は、ますます自分にぴったりの相手だと、思ったり。

写真を送りあっても、大きな違いは、ありません。
写真うつりが良い、悪い、といいますが、メールで送る写真は、奇跡的に?良く映った写真を選択して送ることが多いものです。
やはり、実物とは、違うなぁ、ってことが多いと思います。。。

それなら、ネットは、単なる出会いのキッカケとして考えて、すぐに会ってしまえばいいではないか、
という行動に出たがるひともいます。

しかし、これも短絡すぎます。
上に書いた、ネットの長所、言葉中心であるからこそ、本音の自分を示すことが出来る、ということが実現しないからです。

やはり、メールやチャットで会話をし、しかるべくして、デートに至る、という方法が王道ではないでしょうか。

ところで、なかなか、メールが相手とうまく交換できないひとへのヒント集。

出会うまで(デートするまで)、一日一度はメールする。
返信はなるべく早くする。
「忘れてはいない」「気にかけている」の両方をメッセージに託す。
最初のメールが親密すぎる口調だとイヤな感じを与える。
メールで大切なのは、文字数よりも、回数。

最初のメールから、張り切りすぎて、長文を送り、相手をゲンナリさせてはいませんか?
また、最初のメールですべてを語りつくしてしまって、次のメールのネタが無くなったり、していませんか?

返信が来ない、と悩んでいるあなた、もう一度、振り返ってみましょう。

なお、相談事は、うれしいものだそうですよ。
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優しさ、とは自分に何ができるかをまず考えること。

2009/01/09 07:33
離婚を経験した方が、よく自分自身について言われることは、

この経験から、他人の気持ちがより理解できるようになった、

よりやさしく、なった、

という言葉があります。

よく耳にする言葉ですが、僕は、少し、本当だろうか、と思ってしまいます。

本当の意味で、やさしくなる、ということが、そんなに、簡単ではないから。

離婚というのは、それはそれは、大変な人生の経験です。

結婚するより、離婚するときの方が、はるかにエネルギーのいることだ、

というのは、よく分かります。

しかし、いくらエネルギーを必要とすることだからと言って、

それが大きなプラスの変化を与えてくれる、という保障はありません。

むしろ、離婚はやはり、建設ではなく、破壊作業なので、そこから得るものは、マイナスではないにしても、

せめて、イーブンが精一杯で、プラスなるものは、得られないのではないか。

優しさ、勇気、喜び、などがプラスなるものですが、

それは、建設的行為を通して、得られるものではないか、

と思っています。

「やさしさ」

それは、簡単に言うと、その人に対して、まず自分に何ができるか、を考えること。

そして、実行に移すこと。

行動に現れないやさしさは、たんなる「想い」であって、やさしさ、ではない。

身近なことで言えば、

この百万本の赤い糸に、会員登録をするけれども、それ以上の行為はせず、ただ待っている男性会員。

どうしてなんだろう、と思ってしまいます。

そういう男性会員もいるのです。

このサイトをはじめて見たとき、
相手会員のプロフィールも何人か、参照したうえで、
交際してみたいな、と思われる人がいたから、わざわざ会員登録されたのだろう、
と思うのです。

しかし、実際は、そこで行為は終わってしまって、申し込みは、されずに、「待ち」の状態に入ってしまう。

せっかくそこまで行動したのに、次の一歩の行動がとれない。

もったいない、と思います。

やさしさに、欠けるのではないか、と真剣に心配します。

自分にできることを考えて、まず、自分から行動すること、

それが「やさしさ」のような気がします。

「やさしさ」の裏側には、「弱さ」ではなく、「強靭さ」という文字が刻印されている、

と思います。

あなたを、待っている人がいるのです。

やさしさ、を発揮したい。
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メール相手が続かない、私。何故なのかなぁ、と考えてみる。(3)

2009/01/09 07:31
前回の続きです。

ネットの出会い系サイトに、会員登録し、
ルールを理解し、
いろいろな方のプロフィールを検討したあとで、
この人はと思い、申し込みをする。

それだけでも、かなり、エネルギーのいる作業だなぁ、と感じる。

なかなか、交際OKの返事も来ない。

なんとか工夫して、やっと返事がもらえた!

そして、勢いこんで、メール交換を始める。。。

ところが、どうも、しっくりこない、イメージと違う。。。
やっぱり、この人ではないんだ。

他の人と、やり直してみよう。

そしてまた、同じことの繰り返し。
。。。。
という風に、気が付いてみると、

1か月に何人もの人とメールを交換しているはめになっている。

何故なんだろう。

3.相手をすぐに変えるのは、ドン・ファン思考が潜在してはいませんか?

会員リストの中のプロフィールを、いろいろ読んでいく。
内容豊かで、良く書きこまれたプロフィールもあれば、
大きな印象を与えるだけの、情緒的な表現のプロフィールもあったりする。

読んでいくときに、それぞれの相手のイメージを頭に描いて、
自分の持っている、好ましい女性象・男性象とくらべ、
合格なら、申込みを決行する!

問題なのは、申し込んで、百パーセント、返事が来るわけではない。
そして、返事の来ない(断られた)理由が、とんと分からない。

そうこうしているうちに、申し込みを、受けてもらえるかどうか、に熱中せざるを得なくなってくる。

数をこなす、ようになってくる。

交際OKの返事が来て、メール交換が始まる。

プロフィールを読んで、イメージした時と、今受け取っているメールの間に、違和感を覚える。

誰しもがプロフィールなんて書き慣れてはいないから、これは、当然と言えば、当然の現象なのです。

そう受け取って、メール交換が始まってから、改めて相手を理解しよう、
と考えた方が、賢明なのです。

ところが、なかなかそうは思わない人の方が、多いのではないでしょうか。

自分のイメージと違っていれば、ああこの人ではない、と思ってしまう。

そして、早々と、次の人を探しにかかろうと、してしまうのです。

ドン・ファンは、付き合った女性が嫌いになるから、次の女性へ移っていくのではないのです。

今の彼女が嫌いなのではないけれど、
女性、というものへの憧れが強くて、理想の女性をさらに求めて、移っていくのです。

なにか、永遠に無い理想を追い求めて行く、それが、ドン・ファンです。

次々にメール相手を、簡単に変えてしまう人が、このドン・ファン心理と同じだとはいいませんが、多少反省してみる点はあります。

ネットという、相手を探す、交換する、ということが簡単にできる、という環境にあります。

相手を選ぶのは、相手そのものを良く知った上で行われるのではなく、自分のイメージが先行する、ということがあげられます。

相手をしっかり見つめよう、という気が、弱い面があります。
これは、ネットなので、簡単には出来ないことなので、気分の問題ではないかもしれません。
ただ、はっきりした、意志がなければ、簡単に相手のことを判断してしまいがちです。

メール交換という交際を始めた、ということに、一種の達成感もあって、
ここまで来たなら、もっといい相手も、また見つかるだろう、という思いになります。

そして、定かではない、自分の理想の女性イメージ・男性イメージを求めて、さ迷いだすのです。

要は、自分の持つイメージに合わせた異性を求める、という幻想をやめること、
が必要なのではないでしょうか。

人間、いくつになっても、相手の異性について、分かることは少ないものです。
だから、自分の異性へのイメージなんて、ひよわな夢のようなもので、それをたよりにするのは、どうでしょう。

まずは、現実に眼の前にいる相手を、理解しようと、語りつくしてみる。
始めは、半分くらいは、目をつぶるくらいで、メール交換を続けてみる。
そして、だんだん、目を開いて行って、判断する。

とにかく、2、3回のメール交換だけで、相手を判断してしまう、
交際をやめる決心をしてしまう、
ということは、いかにもチャンスを失っているような、気がしてなりません。

いや、それよりも、そのような人は、ドン・ファンのように、次々に相手を変えていってしまう、そんな結果になってしまう、それを危惧します。

もう一度、自分の態度を見直してみませんか?
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メール交換が続かない、私。何故なのかなぁ、と考えてみる。(2)

2009/01/09 07:15
前回の続きです。

メールというのも、手軽ではありますが、相手に真剣に思いを伝えようとすると、難しいものです。

ごく軽い、日常会話であるならば、話し言葉のノリで、書けますから、簡単といえるかもしれません。

しかし、やっと申込みにOKをもらった相手とのメール交換、となると、話し言葉のノリで、というわかにはいきません。

その理由の二番目です。

2.あせりすぎていませんか?

年齢を経るごとに、知識や経験が詰め込まれてきますから、自分というアイデンティティも、しっかりしたものとなってきます。

自分の好みや、行動の仕方も、だんだんはっきりしたものになってきます。

ましてや、離婚などという経験をすると、自分では辛い体験をくぐってきただけ、人間が良く分かってきた、人の悲しみや思いやりの大切さが分かる人間になった、と思います。

また、独身を長く続けてきた人にとっては、初めは漠然と大きかった希望も、現実的なものの見方に長ずるにつれて、だんだんに小さな希望へ、はっきりした望みへと、と自分の考えがまとまっていく、のではないでしょうか。

若い頃は、寡黙なタイプ、であった人も、こうして自分の考えが、はっきりしてくると、結構、雄弁家になっていきます。

自分の考えに対して、せっかちになってきます。

こんな人が、満を持して、メール交換による交際を始めるわけです。

その人の最初のメールはどんなものでしょう?

自分の過去、自分の現在、自分の願い、自分の好み、自分の夢、自分の理想の生活、そんなこんなで、怒涛のような熱心さで、相手に思いを、ぶつけてしまうのでは、ないでしょうか?

始めから、自分のすべてをぶつけ、さらして、相手の理解を求め、相手にも同様に、自己を語ってもらいたい、という態度が、前面に出る、というケースが多いのではないか。

年配者のメールの書き方を想像すると、特にそういう想像をしてしまいます。

これが、(1)で書いた、的確な表現がとれず、つたない、失礼な文言を含んだ文章が加わると、ただの、ひとりよがりのメールになってしまいます。

そこに、相手の姿、相手の思いを、想定しながら文章を書く、という思いやりは、みられません。

自分の言いたいことを、言いたいように、書いているだけ、

になってしまいます。

人間、そんなに、ド〜ッと言われても、理解できるものではありません。

自分の思いは、こんなにボルテージが高いのだから、相手も同じ状態のはずだ、
という調子では、理解の道は、通じません。

あせらないこと、一、二度のメールで自分を理解してもらいたい、と思わないこと。

そんなことは、無理なんです、から。

一度に、あれも言う、これも言う、で書く量が多くなる、というアプローチよりも、
何度も、頻繁にメールを送る、ことを心がけるアプローチに変えたら、どうでしょうか。

そして、大事なのは、経済的状況などの事実だけを語るのではなく、
日々の心情、感情も伝える、こと。

短いメールだけれど、頻繁にやりとりが行われる。

内容も大事だけれど、今日も、明日も、次のメールが来る、ことが楽しみになる、
そんなアプローチを心がけたら、良いのではないでしょうか。

そんな、相手との「関係」つくり、が大事なのですね。

そうすれば、書き方のつたなさや、失言なども、修復可能です。

相手を想う気持ちが、自然に醸成されてきます。

そして、ああ、こんなにメールを交換しているんだけれど、どんな声の人なのかしら、
と次の関係へのステップが生まれてきます。。。

メール交換を長続きさせるコツは、あせらないこと、せっかちにならないこと。
そう心がけてみては、どうでしょうか?

今回は、この辺で。



3.相手をすぐに変えるのは、ドン・ファン思考が潜在していていませんか?


  (次回に続く)
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メール相手を次々に変えてしまう、私。何故なのかなぁ、と考えてみる。(1)

2009/01/09 07:14
インターネットの出会いサイトで、相手を探すときは、
どんな小さなサイトであったとしても、数十人の候補者の中から、
自分に合うだろう、という人を絞り込んで申込みをする、でしょう。

申し込んでも、申し込んでも、なかなか思わしい返事が来ない、という場合もある。
例えば、男性の場合、20歳も年齢の違う相手に、申し込む、とか。

ネットの良さは、自分の信念を曲げず、思いが完全に成就するまで、
申し込みを続ける、ということも可能です。
自分のしていることは、誰にもわからないから。

これが、普通の、結婚相談所などで行ったら、2,3回もしたら、
「あなた、そんな、夢みたいなた思いは忘れて、現実をみなさいよ」
とでも、言われてしまいます。

これはこれで、面白いテーマだと思いますが、今日は、別の話題。
つまり、より現実的な思いを中心に、申し込みをし、交際OKの返事をもらった場合のことです。

何人もの、候補者のプロフィールを、比較しながら読んでいるときは、なかなか楽しいものです。
その相手との、交際の情況などを想像しながらの、作業ですから。

上手く行くのかな、どうだろうか、などと想像する、
もうこれだけで、くたびれてしまって、
なかなか、申し込みもでにいたらない、という状態におちいってしまう人も、
会員の中にはいるのではないでしょうか。

そして、数名に申込みをし、うれしいことに返事が来て、メール交換を始めます。

ここから、まぁ普通のステップとしては、
1.何通かのメール交換の後、
2.電話で話をして、声の感じが良くて信頼がおけそうであれば、
3.実際に会う、デートをし、
4.デートを重ねて、最終的なカップルへの合意に至る。
という節目で、進行するのではないか、と思います。

1から2、あるいは1から3へのステップに進む割合は、どのくらいなのでしょうか。

データを取って分析したわけではないので、正確なことは、言えません。
が、結構、確率は低いような、気がします。

当赤い糸のメンバーは、35歳以上ですが、若い人たちの出会い系サイトで、デートまで至る確率と、当サイトの確率を比べると、当サイトの方が、低い、ような気がします。

それは、何故なんだろうか、と考えてみたいのです。

1.メールの書き方に慣れていなくて、うまく自分が表現できていない、のではありませんか?

誤解があっても、うまく訂正出来ないで、相手を怒らせたまま、終わってしまう。

これって、結構、多いのではないか、と思っています。
文章で自分を表す、ということに慣れていない、にも関わらず、自分の文章を自省することもできない。
それでいて、相手は、それ相応の年配者として、送られた文章を読む。
稚拙で、失礼な文章は、若い人同士なら、笑ってすませることでも、真剣に受け止められてします。
ああ、こんな人は、ダメだぁ・・・。

こうして、2、3回にメール交換で、互いのことを、実は、よく分からないまま、終わってしまう、ということが、多いのではないか、と思っています。

やはり、メールの書き方は、相手の立場を考えつつ、自分の思うことを語る、ということで、そんなに簡単なことではないのだよ、
ということを、もう一度、思いなおして、わが身を振り返る必要が、あるのではないか、と思います。

年配の人ほど、ついつい普段の語り口でメールを書いてしまうと、大変ぶしつけな内容になっていることが多いようです。

そしてまた、受け取る方としても、あまり表面の言葉に神経質にならずに、
一度、二度は失礼な、と思われる発言にも、
片目を閉じて、

それって、もしかして、こういう意味なのですか、

とうような、やりとりをする余裕が、大切なように思います。

これなくしては、いつも、いつも、同じことの繰り返し、で終わってしまいますので。

2.あせりすぎていませんか?
  (次回)

3.相手をすぐに変えるのは、ドン・ファン思考が潜在していていませんか?
  (次回)

今回は、この辺で。
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